『山の辺道その二』
やがて『山の辺道』は三輪山の北側山麓へ・・そして檜原原神社へと辿り着く、三輪山周辺に濃厚に残る太陽信仰の社の一つだ、『日本書紀』によれば 崇神が王女 豊鋤入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)に命じ笠縫邑(カサヌイムラ)で太陽神を祀らせたとある神社で「元伊勢」とも呼ばれここの太陽神はやがて伊勢に移され伊勢神宮に皇祖神アマテラスとして祀られる、
社殿側から古代の形態のままの鳥居を見ると二上山が中央に見え春分・秋分の太陽のラインで結ばれているという、ちなみに『太陽の道』は大和の遺跡や古い寺社を撮るカメラマン小川光三さんが発見し、NHKでも放送された!箸墓を中心に東西約200キロの直線上(北緯34度32分)に、「太陽の道」と呼ばれる、古代の祭祀遺跡が並んでいるという発見である 東の端は、伊勢の斎宮址。西の端は、淡路島伊勢の森(伊勢久留麻神社)。この二つの「伊勢」のあいだを、古代遺跡や古い由緒をもつ神社が点在していて、共通点が太陽神であり、 太陽神の祭祀に深いかかわりをもった古代の「聖線」、これが「太陽の道」だ 桜井市では、長谷寺、三輪山、檜原神社、国津神社、箸墓が直線上に並ぶ、おそらく三輪山を基点に東西に延びたのだろう!
そんな檜原神社の拝殿で神官が神饌を供え、祝詞を奉じている・・・境内の中にはその神官と小生の二人だけだ!さらに山麓を南に進む大神(オオミワ)神社摂社狭井神社 祭神は大神神社の祭神大物主神の荒魂(暴れまわる神=祟り神)、境内内にある狭井(井戸)の水を飲むと万病に効くとされ多くの人がペットボトルなどに水を汲んでいる小生も猛暑の中歩き続け咽喉はカラカラでこの水はありがたかった・・・でも万病には効いても貧乏には効かないらしい!この狭井神社に申し込むと三輪山の山頂までの参拝が許されるのだが 時間の都合上今回はあきらめた(体力の限界説もある)そしてやっと大神神社へ辿り着く、祭神は大物主神(大国主神)だ!『日本書紀』神代紀によると“国譲り”の直前「この国をほぼ平定し国造りをした大物主神の御魂が私は三諸山(三輪山)に住みたい」と望んだ事が始まりだと言い、また同じく『日本書紀』の崇神五年にヤマトの人口が半減するほどの疫病が流行り原因は大物主神の祟りと神託があり大物主神は“我が子大田田根子を探し自分を三輪山に祀らせよ”と言ったといい崇神は大田田根子を探し大物主神を三輪山に祀らせたとある、『古事記』は疫病の流行を大物主神の祟りと云っている!そして大物主神(大国主神)は皇祖神(アマテラス)に国を譲り、代償に宮殿(出雲大社)を要求し祀られている、つまり大物主神(出雲の神)という大和朝廷にとっての敵がヤマト発祥の最大の聖地三輪山に祀られている古代史の謎の一つがここにある!
また『日本書紀』神武東征説話によればヤマト建国以前に王権を確立していた人物がもう一人登場する、名は饒速日命(ニギヒハヤヒノミコト)、古代最大の豪族物部氏の祖と云われ諡号「天照国照彦火明櫛玉饒速日命(アマテルクニテルヒコホノアカリクシタマノニギヒハヤヒノミコト)」からアマテラス以前の本来の太陽神の可能性が高く、饒速日命は神武に国を譲り、天皇家はその物部氏の祭祀を採用し現代まで続く!(大嘗祭・伊勢神宮式年遷宮)ヤマトは先住民(出雲、物部)が建国し後に皇祖神(アマテラス)に国を譲ったという話は神話の架空の世界と片付けられていたが 考古学は纒向(ヤマト)の成立に吉備や出雲が貢献していたことを証明した!実におもしろい!
そしてヤマト建国に貢献し国を譲った大物主神(出雲)は祟る神として扱われる!方や同じ国を譲った饒速日命(物部)は天皇家の祭祀に採用され且つ出雲を監視する一族となる!大物主神、物部の“モノ”は 神であり鬼である同義語であったという!ヤマト建国に貢献した出雲に何があったのか?・・・・祟りとは祟られる側(ヤマト)にやましい思いがあると言うことだ!出雲のどんな悲劇があったのか!?
そんな大物主神の祀られている大神神社に小生はいる!歴史のロマンだ!大神神社に神殿は無い拝殿の向こうには山頂に向かう線上に三体の巨石群の磐座(イワクラ)が並ぶという、そんな古代最大の聖地三輪山大神神社を小生は参拝する!
つづく


















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