5月23日(土)朝7:00信州安曇野へ向けて出発
山の神殿の安曇野へ行く目的はワサビソフトクリームだとさ!?もう小生には理解の限界を超えています!もう宇宙人の領域ですな~!それでも昔何度も行った白馬方面は懐かしい気分も手伝いさほどおっくうではありません!昔はすべて一般道で白馬までは随分時間が掛かった遠いところでしたが今は松本の先豊科まで一気に高速!
1000円です!上信越道は一旦長野方面へ向かい更埴JCから松本方面へ戻る道筋、やっと見慣れた松本や豊科の文字が出てきてもかつて白馬に向かった頃の風景とはまったく違い実感が湧かない!豊科ICまで約2時間チョイ!速いね~ICを下りても記憶に残る安曇野固有の風景は現れず・・・山の神と「最後に白馬へ来たのは何時だった?」・・・初めて白馬に行ったのは20歳前後もうかれこれ35年前・・・後ろ姿は今のキムタクのようだった!?最後に来たのは?・・・・・・・
それまでお世話になった白馬のじいさんがやっていた“P 旅人”が無くなり白馬のじいさんの貸し別荘に泊まったのが最後なのですが二人ともいつ頃だったか記憶が戻りません!まあ25年は経っているでしょう!風景が変わっても仕方ない・・・・と 突然道の右手に“大王わさび農場“「あれっ これ道が違う!」新しい道路でした“安曇野パノラマロード”とか多分長野オリンピックの際に造ったのでしょう。
実はこの記事を書く前に白馬のじいさんからコメントを戴きましたがこの時は勿論知る由も無くわさび農場の駐車場に着くなり「白馬のじいさん電話して会いに行くか!」「いきなり迷惑です!」「世の中には迷惑かけていい人と悪い人が居る、白馬のじいさんは迷惑かけていい人だ!」「奥様には迷惑です!」「ソフトクリーム食べた後はどうする!?まだ9時30分!」「・・・・」てな 訳で白馬のじいさんにTELする事は許されませんでした!
わさび農場を出ると行き先は白馬以外で任さられ?実は安曇野はかつての記憶以外にもう一つ興味があり それは若かりし頃にはまったく興味なく勿論訪れた事も無い所が在ります!すぐ近くです!“穂高神社” とりあえず穂高神社に向かうとすぐに147号線 かつて白馬に向かった道に出てその風景に見覚えがありほっとしました、此処安曇野は今小生が最も関心を寄せる七世紀以前おそらく二世紀~六世紀にかけての日本の歴史に深く関わっています!神社はこの5月17日?に20年に一度の大遷宮が行われたようで町中には大遷宮の幟が立っています 駐車場に入ると大遷宮の祭りに使用された“御船”が二艘残っておりここ信州の奥深い山中の安曇野が古代の海人族と深い関係がある事を実感し感動です!
大遷宮の拝殿は真新しくなっており
神社の由緒書きには天智が百済滅亡の危機に半島に出兵を決めたとき安曇比羅夫(アズミノヒラフ)を送り安曇比羅夫は白村江で敗れ戦死、その安曇比羅夫を弔い祀ったのが”御船祭り“の起源と書かれていた!しかし地元の古代史家はおそらく八世紀以降の朝廷が決めたものであり安曇比羅夫を祀っていない周辺の神社でも御船が継承されており祭神穂高見神が船と関わるからだと説明している、安曇族は北部九州・対馬などを拠点とした一族(九州では阿曇)でその祭神は綿津見神(ワタツミ)三神で海神だ!綿津見神 の子穂高見(ホタカミ)神が穂高神社の祭神であり明科一帯からここ豊科、安曇野の広範囲の神社が海神を祀り御船を継承している、つまりここは海人族(海の民)の安曇族の居住地であった事になる!海人族が何故この山深い信州なのか?海の民と山の民は関係が深かったと云う、古代の航海は沿岸航法であり常に高い山や半島を目印に航海し船を造るには山の木を必要とし山の民は塩を必要とする、そう言えばここには古代の道”塩の道“と呼ばれる千国街道がある!諏訪(諏訪大社)の祭神建御名方神は出雲から戦いに敗れ同じ信州に逃れ信州では開拓の神として崇められている!何か関係があるのだろうか?古代ロマンである!次は車で10分位のところにある“有明神社”に行こう!147号線の左手には北アルプスの山々がそびえるがその頂上部は雲がかかってほとんど見えない常念岳・穂高岳・燕岳と続く中に有明山がある他の山と違い頂上部が平らで丁度富士山の様な姿から地元では信濃富士とも呼ばれているそうだ、その山裾に有明神社はある、古代では穂高神社よりも格が高かったかもしれない!・・・とここで山の神が異議を唱えた「神社はもういい!」「任したはずでは?」
「もういい! 碌山美術館といわさきちひろ美術館!」「碌山なんて何度も昔行ったじゃん!・・・・」「古代ロマンはもういい!」てな訳で古代ロマンの旅はあっけなく終わりを告げました! ・・・泣く・・・つづく
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